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さがみの鉄道写真/撮影日誌…archives

1974年頃からの写真を公開しています。

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四国巡行

高校時代の友人Wとの四国巡りの旅行です。

※スナップ写真の一部は拡大されません。

まだ瀬戸大橋はまだ完成しておらず連絡船で四国に渡りました。
また、よく知られている宇高航路の他に国鉄連絡船として仁堀航路があり
宇高は宇野~高松・仁掘は仁方~堀江間の連絡船です。

早朝の東京駅に集合して「ひかり」の乗客になるのですが今日の宿は高松を夜半に出発する夜行列車です。
深夜までに高松に着けばよいので日中はどこへ行くあてもなく二人で相談…
Wは「倉敷とかは何時でも行けるから普段行けない尾道へ行こう」と・・
それに「宇高連絡船より仁堀航路で四国へ渡ろう」と言うことになりワクワクしながら新幹線車中で話していたのでした。
尾道駅に着きました。
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左上に見えるのは尾道城ですがまったくの観光用で築城しました。

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尾道駅前の路線バス。

尾道駅から、とぼとぼと歩きロープウェイで千光寺公園に着きました。
山頂からは尾道を一望できる公園があり「文学の小道」と言う尾道ゆかりの作家や歌人の碑が刻まれている自然石を読みながら
帰りはのんびり歩いて降りました。
作家「林芙美子」が通ったと言う喫茶店でのんびりしていたのですが・・・
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使用した四国周遊券です。
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当時は四国に渡る連絡船は宇野線の宇野と四国の高松を結ぶ宇高連絡船と呉線の仁方(にがた)と四国の堀江を結ぶ仁堀航路がありました。
二本の航路があったため四国へ渡るには行きと帰りを別々の行程にできました・・・
尾道から三原へ出て呉線で仁堀航路の出ている仁方で下車。
駅から十数分歩き連絡船乗り場で待つのですが出帆時刻を過ぎても船の姿はなくどうしたものかと…
心配しているうちに「エンジントラブルのため欠航になりました」とアナウンス。
すでに18時過ぎ、ここで四国に渡れないと後々の計画が・・・。
すぐに仁方駅に戻り周遊券の裏に証明してもらいました。
Wは緊急のため新幹線乗車を認めてもらおうと食い下がったのですが結果はNO…
そんなに甘くありませんでした。
呉線・山陽線・宇高連絡船となんとか乗り継ぎ、宿である中村行き夜行列車へ。
この夜行列車は普通列車なのですが運用の都合で急行型気動車を使用しグリーン車を連結しています。
が、時刻表にはグリーン車のマークが付いていません。

と、言うことはグリーン車は普通車扱い。
そのことは鉄ファンにはおなじみで高松港に着くと猛然とダッシュ…
目指すは普通車扱いのグリーン車…
なんとか隣り合った席を見つけ今日の宿となりました。
仁堀航路で渡っていればこんなに走ることはなかったのになぁ…
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中村駅

バスで足摺岬へ。
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この旅では結構観光地を回っています。
吸い込まれそうな断崖絶壁で足元は海…
「ちょっと待て」と言う看板がありました…ここは自殺の名所でも知られていました。

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土佐山田駅だと思うのですが…WとDF50の貨物列車。

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| 1981年 | 10:27 | コメント:0 | TOP↑

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四国巡行(Vol.2)

翌日は高知から多度津回りで松山に行きます。
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多度津駅
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キハ181系好きにはたまらん…
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観音寺で降り観光地の琴弾公園へ
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社会の教科書で見た、砂で作ったと言う銭型を見たくて観音寺駅で下車。
当時の領主が当地を訪れるのを知った領民が歓迎のため一晩で作ったと言う「寛永通宝」。
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この砂絵を見た人はお金に困らないと言われていますが・・・・?

予讃本線を下り松山へ。
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松山市内を走る伊予鉄道市内線。
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松山城散策…

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| 1981年 | 10:46 | コメント:0 | TOP↑

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